● 『上西小百合議員 今井絵理子議員に「バカですね」』ということから思うこと。(「言霊」のある意味恐ろしさ、を上西議員さんは感じないのでしょうか・・・?)

『上西小百合議員 今井絵理子議員に「バカですね」』というWeb記事の見出しが目に入ってきました。

今井議員については確かに愚かな気はしますが・・・

上西議員さんは 国会議員なんだから、もう少し言葉を選べないのでしょうか?
彼女は・・・

こないだのサッカーのことでの暴言もそうですが・・・

上西議員さんは、「発した言葉通りの人生に、選択した言葉遣いのとおりの人生に、100%、なる」、ということをお感じにならないのでしょうか・・・?

言葉を使うお仕事なのに、「言霊」の怖さを感じたことがないのかしら・・・?

こういう行為を続けていると、(ブラック企業か演技の多い芸能界のようなところ以外では)、そう遠くない将来に、必ず、自滅してしまいます。ブラック企業は寿命が短いから同じですか・・・。

いくら良いことをしていたとしても、これは、お天道様が許してくれません。

お天道様じゃなければ、目には見えないですけど、大衆の「良心」(日本古来の万の神さまからプログラミングされたかのようなもの)みたいなもの、によって、淘汰される日が必ず来ます。

私たち地球上の多くの人は、善を教育されているし、善を教育されなかったとしても、どうやら悪をし続けることもできないように神さまにインプットされているかのようですから、これは数の倫理で必ず勝てません。

こういう「中途半端な悪」の人は必ず淘汰されます。

大勢の人間の「良心」のようなものをナメたらいけません。
いくら虚勢を張ったところで、数の論理には勝てないのです。(ならすぐに負けを認めて人々に奉仕するほうがよっぽどか強くなれます。)
上西議員さんはお釈迦様の手のひらの上で、こざかしく意味もなく何も分かってないのに得意げになっているだけ、というシチュエーションです。

悪は滅びませんが、縮小は必ずします。その中に上西議員さんも近い将来、たぶん、入ってしまうでしょう。

へんなところで意地というか虚勢というか、そんなものを張ってもロクなことにはならないのになあ・・・・。

どうしてそんなことが分からない人が「国をしょって立つ国会議員」なのか・・・、意味不明です・・・。

維新の会はこんな人をなぜ最初に入れちゃったんでしょう・・・

今は除名されているらしいですが、言葉遣いから変えてほしいなあ、と思います。

そうすれば、「はっきりものを言って」いけば、もし小池さんがどこかでコケたら、もしかしたら初の女性総理になるかもしれないのに・・・。化けるかもしれないのに・・・。

「そんなバカなことあるわけない」と多くの方がお思いでしょうが、でも「言葉遣いを品良く変える・それを積み重ねる、と」、実際には、そうも言えない、簡単には否定できない、というのが「言霊」の「ある意味」「恐ろしさ」だと考えています。

いずれにしましても、今の彼女は「はっきりものを言うからわかりやすい」という次元のものとはまったく違うと思います。

単なる 無礼者、マナー知らず、なだけなんじゃないでしょうか?

人間って「100回負けて1回勝って」の繰り返しで本物に近づいていけるんだと思います。また、その意味で、勝ち負けは自分に対しても他人に対してもメチャクチャ重要だと思います。

また、本物な人は、基礎を習得する段階で、それを、常人には理解しがたい、尋常じゃない量・数・回数を繰り返して基礎を深く固めています。

そして、本物になって偉大になったあとも、その基礎の掘り下げをやめません。

そして本物な人は、簡単な勝ちは負けと同じと思っていて、また、意味のある負けのほうを「敢えて」とることのほうが多いみたいです。

なので、上西議員さんのように「勝ちばっかり欲しい」というタイプの人、あえて負けて自分を成長させたい、あえて負けて他人の懐に入っていく、という考え方ができない人、は、例外なく「ニセモノ人間」です。

ついでに、政治家の場合の基礎である「言葉や言霊」を軽視する人、同じく政治家の基礎である善なる苦悩による「哲学」を持たない人、は、例外なく「ニセモノ政治家」です。

上西議員さんは、人間的にも政治家としても「ニセモノ」というこになろうかと思います。
人格も低いです。

そういうお前はどうなんだ?と問われれば、僕ももちろんニセモノ人間です。

勝ちばかりが欲しいわけじゃないけど、ぜんぜん本物ではない。

でも、自分で「俺はニセモノ」と気付いて、こころから、認めています。

そこだけは上西議員さんとは違います。あとは似たようなものですけど・・・。
大差ありません。なしとげてきたものからすれば、上西議員さんのほうが上かもしれないです。

ただ、「俺はニセモノ、あたしはニセモノ」、と気付いているかいないか、認めているか認めていないか、の差は決して小さくありません。

理由は、「俺はニセモノ、あたしはニセモノ、と気付いていれば」、謙虚に・本物になるほうに1ミクロンずつでも近づける・・・、あるいは、そういう方向を向ける・・・、からです。

俺はニセモノ、あたしはニセモノ、と気付いていて 本物になるほうに方向を向けているか、「本物としての理想像を持っている」か?・・・それともニセモノのまま、自分をニセモノ人間と認められないまま、未だに駄々っ子のように無意味に「勝ち=見栄の満足」だけを欲しがっている状態であるか?・・・その違いは小さくないと思います。

永く幸せになれる可能性があるのは、俺はニセモノ、あたしはニセモノ、と気付いていて 本物になるほうに方向を向けて、「本物としての理想像」を持って・頭の中にそれが見えていて、で、そこに向かって少しずつでも進む人、です。

ニセモノ人間のままでは、ぜったいに強くもなれないし、弱いままです。

弱いままだと、人生を自分の意志で楽しむことができません。

他人の言動が気になっちゃう。

自分の人生の登場人物は、自分の意志でいくらでも入れ替えて、選べるのに、他人に登場人物を選ばれる人生になってしまいます。

前述のとおり、勝ち負けは自分の成長の上でとっても重要ですが、それ以上に、本物であるかニセモノのままか、のほうが重要で、それは強くなれるか弱いままか、にもつながっていると思います。

勝ち負けは、本物になるために、必要なもの、生きてくるもの、だと信じています。

しかし、勝ちばかりほしい人、企業は、ニセモノのままです。
(そういう意味では「勝ち組・負け組」的な記事、「1かゼロか」的な記事をすぐに組みたがるモノ書きの方々、その思考回路も、それに近いと思います。今 調子がいいのか悪いのかを知るには確かに分かるといえば分かるのですが・・・・。)

ニセモノのまま、ということは弱いまま、ということですので、いずれ自然の摂理どおり、弱肉強食のとおり、淘汰されていきます。あるいは、破たんします。
(※ 弱いからこそ本物である人も多いので、「弱いからニセモノである」とは間違っても言えないですが、逆は、つまり、ニセモノが弱いのは明らかです。質の低すぎる弱さ。長くはありません。もって5年。一時は他の追随を許さないほど強くてもすぐにメッキが剥がれ落ちて弱さが露呈します。)

お若い方々におかれましては上西議員が「はっきりものを言うからわかりやすい」などと、決してお感じにならないよう ご注意ください。今のままの彼女なら、彼女はニセモノ人間のままなので応援してもムダで、政治家としては恐らく、近い将来、自滅していきます。(芸能界に入れば毒舌コメンテーターキャラでOKだと思いますけど・・・)
でも、憎まれっ子世にはばかる、というのもあるから ニセモノのまま受け入れられることもあるので、例えばニセモノなのにたまたま当選が運よく続いてしまえば「あたしは受け入れられている。選挙でだって当選したじゃん。支持者はいる。と愚かな事象で愚かな勘違いをしたまま死んでいく。周囲の取り巻きの人たちも残念ではありますが同じ愚かな勘違いをしたまま」という風になる可能性はありますが・・・。ただ、ニセモノなのは次の代まで続きますので、いずれ幸せは離れていくと思います。今のまま変わらなければ・・・。

(余談ですが、今高須医院長さんに訴えられてる大西健介さんもそういう部類の人なんですよね・・・エラそうにすみませんけど・・・。あの人も政治家の基礎である言葉や言霊、哲学、がなってないです。地元ですけどあんなのが国会議員だなんて地元として恥ずかしいです。)

僕たちは、自分も当然、そういう部分があるはずなので、他人のフリ見て我がフリなおせ、で、できるだけ謙虚に行かないといけないと思います。

こういう上西議員さんのような哀れな人を見ていると(今井さん、大西さんも含め)、本当に、国会議員になるには、資金繰り担当経験年数、社長業経験年数、海外生活年数、哲学のテスト、人材の教育理念のテストと教育実施数、そういったものが必要だと感じます。

坂本光司先生(もちろん面識ありません!敬意をこめているだけです)のご本にご紹介されているような経営者の方々のような哲学をお持ちでない方が、どうして簡単に国会議員になれるのか、不思議で仕方がありません。

僕の一票を本当に入れたい人が、どの党も、選挙区にいないです。

薄っぺらい人生しか生きてない僕ですが、こんなダメ人間だから よけいに、自分だってロクなもんじゃないことくらい分かってるので、なので、逆にちゃんとした人が国会議員になってほしいと願います。

僕の生徒さんたち、若い子たち、が将来済みやすい国にしてほしいです・・・。