● 関西学院大学の監督さんのおっしゃるとおり、「行為そのものは許されることではない」としながらも、「勇気を出して真実を語ってくれたことには敬意を表したい。立派な態度だった」という立派な会見でした。

怪我をさせてしまったクウォーターバックの選手の方やそのご家族には、きっと「届いた」のではないでしょうか?

前もって個人として親御さんと共に、相手の選手とそのご家族に謝罪し、なおかつ、このように具体的に語ってくれたことは、きっと、アメフトだけでなく、スポーツだけでなく、いろんな方面で、「良い方向」に、つながると思います。

そのことを、怪我をさせられた選手の方やそのご家族も、きっと、感じてくれたのでは?と思えるような会見でした。

彼・本人には大変、つらかったであろうし、勇気の要る事だったと思います。

僕なんかにはとてもできない。

関学の監督さんのおっしゃるとおり、もちろん「行為そのものは許されることではない」ですが、「勇気を出して真実を語ってくれたことには敬意を表したい。立派な態度だった」ということだったと思います。

このように、素直に謝れる、ということは、必ず、次につながります。

捨てる神あれば拾う神あり、というのは本当に本当です。

基本、「良心」「善」にしたがって、「利他のこころ」「奉仕のこころ」で生きている限りは、「捨てる神」、は大抵、性根の腐ったニセモノな人間です。

「拾う神」、は、ホンモノな人である確率が高いです。

性根の腐ったニセモノな人間は、善なる人が周囲に居ると悪どいことがやりにくくなるので邪魔ですから。
当然捨てようとします。

でも、(小さくても)幸せなことを手にするには、やっぱり、恥をかいても、正直に、素直に、お話するのが一番だと思います。

歳を重ねるごとに、それが難しいと感じてしまう自分自身の情けなさを恥じながら、でも僕も、彼をお手本に前を向いていきたいなと思いました。

立派だったと思います。

きっと、近い将来、彼を信頼してくれる人からの、彼にとってのホンモノの良い出会いが必ず、あることは間違いないです。

そういった意味では、自分が愚かだったこと、誤ち、等々を素直に正直にしゃべってしまうのは、決してマイナスではありません。特に今回のようなしっかりとした謝罪、とりわけ、「真実を語る謝罪」はご本人にとってはプラスにしかなりません。

もちろんお相手にとっても。

そもそも、あえてのきれいごと・良心にもとづいて生きていて、腐ったバカに捨てられるなら、むしろそっちのほうが、捨てられちゃほうが、かえって完璧に「幸せ」で好都合ですやんね。

「むしろ」喜ばしいです。

好運がやってきます。

この先も全然不安がらなくていいですよね。

そのあとは自分で何か始めるもよし、ホンモノな人との出会いを待ったり楽しむもよし、ですよね。

「誰かが見てくれている」「お天道様が見てくれている」というのは、そういうことだと思います。
(できなくてもいいので)あえてのきれいごとの方向を向いて、いきすぎない利他で生きていれば、必ず好運はやってきます。(行き過ぎた利他はもう利他ではないので・・・。)

それは、何度「今の場所」から逃げてもいいから、もちろん「人間は性悪説」で行けばいいから、でも、めげずに、「あえてのきれいごと追い」で、「良心」や「善」にしたがって、坂本光司先生のおっしゃっるように「利他のこころ」松下幸之助先生のおっしゃるように「奉仕のこころ」で生きている限りは、ちゃんと、そうなれます。

しかしながら・・・、本当に、本当に、不幸中の幸いにも、怪我をさせてしまったクウォーターバックの選手が重傷でなくて、本当に良かったと思います。(不謹慎で大変申し訳ございません。)

神様のお導きだったと思います。

それだけが、彼にとっての救いだったような気もします。

あの当たり方は、不謹慎で大変申し訳ございませんが、相手の選手がお亡くなりになってしまう可能性さえあったと思います。

内田前監督やコーチは、殺人罪に問われる可能性もあったかもしれません。

そんなことになってしまったら、それこそ、彼は、立ち直れません。

そんなことにならず、本当に良かったと思います。

相手の選手を思いやり、ご家族を思いやり、ちゃんと、ご自分自身の中で考えながら、頑張って質疑応答をされる姿は、(彼自身も述べておられましたように行為自体は決して許されることではありませんが)でも、立派な態度に映りました。

同時に、事前に彼の謝罪を受け入れた、怪我をさせられた選手の方とその親御さんには、本当に敬意を表したいと申しますか・・・、彼以上に立派な方々と申しましょうか・・・、ほんとうに素晴らしいと思います。
あの方々こそが、本当におつらいのに、僕にはこれまた、とても真似できないです。

もし自分の子供が同じことになったらあんな風になれるかどうか・・・

すごいなと思いました。

もしかしたら、彼の勇気は、被害者ご家族のその「受け入れ」が与えてくれたものかもしれません。(もし、その「受け入れ」が決して完全なる「受け入れ」ではなかったとしても。)

一人、味方がいるだけで、たった一人が自分を認めてくれるだけで、自信が持てる気がする・・・ってことありますもんね?

どちらの方々も、簡単には真似のできない態度だった・・・、称賛されるべきもの・・・、と思います。