● 「数字やデータ」は仕事に必要で有用でないことはないですが、本当に必要でしょうか?人を幸せにしてくれるものなんでしょうか?振り回されることはあっても幸せになれることはほとんど無いのではないでしょうか?

数字やデータは仕事には役立つといえば役立つと思います。

でももし「数字やデータが人々を本当に幸せにしてくれるのか?」と問われたら、僕にはわかりません。

うーん・・・となってしまいます。

数字やデータが僕たち、私たちを幸せにまでしてくれるかなあ・・・?うーんわからない。

となってしまいます。

いまでもそのことについてよく考えたりします。

研究開発や会計など、ある意味「数字やデータ」を作っていくこと自体が目的のお仕事なら別だとは思いますが、ビジネス用途(販促・企画・現状把握・対策立案、等々)での「数字やデータ」の利用の場合、それが本当に人々を幸せにするかは疑わしいと思っています。

何度もこのサイトでも書いていますが、パソコンの中にあるデータは「単なる事実であって真実ではない」、「真実である保証はまったくありません」。商圏の状況データもなければ、顧客心理データもなく、あっても数字とはかけ合わせられず、また、重要な情報のひとつである「来店客以外のデータ」が無くて既存客のデータしかない、という、ある意味中途半端な「モノ」です。

だから、そんな疑わしいものに経費をかけすぎるのももったいなさ過ぎるので、「自分が数字やデータを知りたかったら誰かに聞かずにとっとと自分で調べろ」というのがマナーだと思っています。

また、誰かに数字を出させる、ということは、「役に立つのかどうかわからない、幸せにしてくれるのかどうかわからないもの」を、その人の大切な時間を奪ってまで出させる、ということですので、それをする気にもあまりなれません。(「数字やデータを出すことがお仕事」の方に頼むのは良いと思いますが。ここでは専門じゃない人に頼むことを指しています。)

そんなとき、いちいち、VBAプログラムや難しい関数を使わないと、自分が思うような数字やデータが出せない、というのでは 問題だと思っています。

なので、半自動的にビジネス用の「数字やデータ」を出せる「Excelの真の基礎」、つまり、「Microsoft Query」や「ピボットテーブル」の利用頻度を今までよりも上げること、は、数字が必要になるお仕事をする方にはとても重要かつ必要なものだと考えています。

それは、お宝情報を探す、という意味合いもありますが、「無駄な探し物をしない」という意味も大きいです。むしろそちらのほうが大きいかもしれません。

とても消極的な理由ですみませんが・・・・

お仕事においては、「あれどこにあったっけ?」とメールや書類やデジタルファイル、モノを探す時間がすごく多いそうです。それがよく「ビジネスにおける無駄な時間」ということで紹介されます。

それを少しでも減らすために、道具を定位置化したり、整理整頓、断捨離、したりすることが多いと思いますが、数字やデータも似ているかも、と思っています。

あの数字とデータ、あれどこにあったっけ?

と探す無駄な時間を、減らしたい。

それを探す時間をもっと、人間にしかできないお仕事にあててほしい。

だから「Excelの真の基礎」でとっとと出せるところは出してしまってほしい。

そう思います。

最終的には、自分達を幸せにしてくれるかどうかわからない・疑わしい「数字やデータ」というものを扱う時間自体がもったいないと思うのです。数字やデータに振り回されないためにも、すぐに数字やデータを出せる手法を学んでおくことは自分を守ることにもつながる気がします。

ついでに アナログとデジタルについていえば、デジタルは基本「ニセモノ」です。

Wikiによると、デジタルとは「離散量(とびとびの値しかない量)のこと。連続量を表すアナログと反対の概念である。」とのことですが、要するに、アナログを小さく細切れにぶった切って隙間を作ってなんとなく似たような形に形どったもの、だからです。

だからデジタルデータは最初から「ウソ」なこともあります。

あまり信用しすぎるとしっぺ返しを食らうものですので、人間が常に上位、アナログが常に上位で、それをサポートするのがデジタル、という姿勢、位置関係を崩すと必ず・間違いない色んなことが狂ってきます。

そんなもの、あえて「デジタルごとき」に人間様が振舞わされたらいけない、と考えています。

もちろん、研究開発や、科学の進歩、便利さの追求、などには数字やデジタルデータは必要ですが、それ以外のことにはどうか?本当に人々を幸せにしてくれるのかどうか?、なんともわかりません。

だから本当にすごい経営者は、逆に数字にうるさいのかな?数字やデジタルが嘘をつくからそれらにうるさいのかな?とも考えたりすることがあります。

そういう意味でも、数字やデータについては、「いうほどありがたいものではないかもしれない」とか、「いうほど僕たち、私たちを幸せにはしてくれないものかもしれない。」と考えています。

だから、「そんなもんは他人に聞かず、自分でとっとと調べろ」、というのはマナーとして意識しておかなければいけないことだと思っています。

こんな考え方では、きっと、めちゃくちゃものすごい量の反論が来ると思いますが、でもそういう風に「疑う」ということを捨ててしまうと、なんだか、何も進歩がなくなってしまう気もします。

皆様におかれましては、そんな「疑う」ということもしつつ、「いや、でも自分はそうは思わない。こう考える」というご自分独自のお考えを、どうか作って頂けたらいいなあ、と思います。

そのための、「Excelの真の基礎」でもありますし、プロの方々には、そういう視点でExcelを利用する方法をもっと広めてほしいと思います。

「理論武装」しても「愛のない理論武装」、「愛のことを含めて考えない理論武装」はいずれ破たんすると思いますし、その上で成り立っていた数字やデータも、破たんがくれば、実際にはほとんどが、ウソであった、虚構であった、ということになるでしょうし、あるいは、無駄になってしまうと思っています。(反面教師的に利用できる数字やデータはあると思いますが・・・)

松下幸之助先生やドラッカー先生(もちろん知らない人です。敬意をこめて先生とつけているだけです)が好きなのは、ぺらっぺらのぺらっぺらで何もしてない僕ですが、それでもあこがれてしまうのは、お二人が経営について語るときに必ず、スタートが「人々の幸せ」だからです。

そのうえでの経済であり、経営であり、無駄のそぎ落としてであり、時には残酷な判断を下す、ということであるように思います。世の中の人々を幸せにしたいから、会社をやっている、という気概があるところがとても、人生の道しるべになっています。

ほんとうは僕など、ぺらっぺらのぺらっぺらで、両先生のお名前を書くことすら、はばかられるのですが、でも、お若い方々には是非知っておいてほしい方々なので、これからも書いていくと思います。

いつもどおり、話がそれてすみませんが、「人々の幸せがスタート」でその中での苦悩、実行、というのは、今の政治家にもっとも欠けているところだと思います。

一般のひとがもつレベルの、「哲学」のとことも興味なさそうですし・・・。
僕もよく知らないですけどニーチェとか、なんかそういうもの・・・。

愛のない幸せを考えない数字、愛のない幸せを考えない経営、愛のない幸せを考えない理論武装、そういったものから入ってしまっていると今の政治家のように「ウソついてへーき、国民?あっかんべー、哲学?知るか!」、という人間になってしまうと思います。

ちなみにセブンの鈴木先生も、最初は超尊敬していましたが、どうも、鈴木先生は人々の幸せにはあまり大きな興味がなさそうなので、半分くらいの尊敬になりました。