★◆★★◆◇★◎★▽★ 2024/02/04放送の、そこまで言って委員会NPで、須田さんが「竹中平蔵さんは自身の本が1冊ある」的な事を言った際の、竹中平蔵のウソと須田さんのダメなところ(=安易な陰謀論否定=お花畑) ★◆★★◆◇★◎★▽★◆★
2024/02/04放送の、そこまで言って委員会NPで、
須田さんが「竹中平蔵さんは自身の本が1冊ある」的な事を言った際に、
当の本人(平蔵)も出演していて、
で、須田さんが「一回もインタビューされてないのに本になった」とヨイショしていました。
平蔵も「この著者は私にインタビューに来なかった」みたいなウソを言っていました。
が、それ自体は、つまり「一回もインタビューされてない」ということ「だけ」
を見ると、まあ、事実といえば事実なのかもしれませんが、
でも実際は、
「インタービューされてない、のではなくて、複数回のインタビュー申し入れを、平蔵側が全部断った」、
ということのようです。
件の著書は「竹中平蔵 市場と権力」(佐々木実:著)ですが、
この最後の最後、P438に以下のように書いてあります。そのまま引用します。
『 ずいぶん長いあいだ取材をした。その過程では当然ながら、複数回にわたって竹中氏本人にインタビューを申し込んだ。結局受けてはもらえなかったけれども、私は妙に納得もしていた。「対話の精神の欠如」こそ、この人の主張を支えている砦ではないかと感じていたからである。
竹中氏はとても饒舌だ。けれども、すべてが明瞭に語られているようで、そのじつ、肝心なところは秘匿されたままだ。少なくとも、私はそんな印象を抱いている。私のインタビューは拒否されたけれども、もし対話出来たなら、フェイクではない、彼の肉声を引き出そうとしたことだろう。』
変な話ですが、
疑わしきは罰せずはしょうがないけれども、まあなんにしても、
「泥棒や悪人が、自分の悪事をわざわざインタビューで正直に答えるか?」、
という問題をどうとらえるか?だと思います。
Amazonのレビューにも、「本人にインタビューしてないのにおかしい」的な
レビューが結構ありますが、その人たちは、
「泥棒や悪人が、自分の悪事をわざわざインタビューで正直に答えるか?」、
をまったく考えておらず、
「お花畑もはなはだし過ぎてちゃんちゃらおかしい」「バカしかいない」と思います。
こんなことじゃあ、全部アメリカにぶんどられて、日本は滅亡の一途です。
もしかしから、このレビュアーたちも、実は平蔵と同じ新自由主義者なのかもしれません。
その書籍からは、もし仮に平蔵がクロでないにしても、
「状況証拠」から、「とことん黒に近いグレー」ということは読み取れます。
新自由主義の人間は「必ず」「自分は違う」と言いますが、やってることは新自由主義なんです。
やってることを見ろ、ということだと思います。
金儲けと地位の欲、名誉欲ばかり。
彼らは「論文界を悪用した強欲と略奪にまみれていて」、人情や良心はどうでもいいわけです。それが新自由主義者の大きな特徴のひとつです。
ミルトン・フリードマンの手口そのものなのですから。
(↑こんなのがノーベル経済学賞取ってます。というか、ノーベルはダイナマイト=爆弾でボロ儲けした人ですから、そもそも信用のできない人間です。ノーベル賞は、悪意のある良心のない論文でも権威を与えられる詐欺機関の賞です。立派な人の善意の賞もあるのでしょうけど。でも、超富裕層のグローバリストからしたら「お金で」「カンタンに」「悪用もできる」ことは忘れてはいけません。)
堤未果先生やその他のまともなジャーナリストの方々は
「お金の流れと人事を見ればウソを見抜ける」とおっしゃいます。
つまり、これは「本人の証言は不要」ということです。
(どうせ「違うとかウソ言うだけ」だから。)
これは、今この世の中が、「今だけ、金だけ、自分だけ(東大:鈴木宣弘教授が発明したコピー「3だけ主義」)」の世の中だからこそ、まさに、そうだともいえます。
新自由主義者はまったくもってそれにあてはまるからこそ、
「実は、逆にカンタンで・明白」で、
「お金の流れと人事とそいつがやってきた事実を見れば」、
「本人の証言などなくても」「ウソを見抜ける」、
ということだと思います。
これは、新自由主義者っていうのは「自分のこと」を「エリート」と思っていて、
その他(私たちのこと)を「ゴミ」とか「クズ」とか「虫けら」と思っているので、
「虫けらども・”低能野郎ども” ごときが、俺たちのやっていることが分かるはずがない。俺たち高学歴者のやってることの意味が分かるわけない」、
「仮に意味がわかったとしても(=いろいろバレたとしても)、現実に法律を作ったり経済を動かしてるのは俺らだから、どうせあのゴミどもは俺たちに手出しができるわけない」、
「どうせあのゴミどもは、皆殺しにされる対象だから怖くない」と、
「たかをくくっている」ので、
「お金の流れと人事」という、
「証拠」、
をまったく、
「消さない」「隠しもしない」、
から、
だからこそ、
「逆に」、
「ウソが見抜ける」、
というか、
むしろ「見抜きやすい」、
ということだと思います。
そして、「その状況証拠」は「平蔵にいじめられた人たちの」「そのインタービュー内容が ”書籍になる” (=ウソ言えない)と分かったうえでの ”証言” 」が多いので、
低能Amazonレビュアーどもに、「じゃあ逆に聞くが、あんたらは、それを完全にそのご本人たちに、面と向かて、全部狂言と言って否定できるのか?そもそもあんたらは、その証言者たちにインタビューしたのか?」と問えば、
「誰も否定などできやしない」、
わけです。
(※少し話が逸れますが、ホリエモン、三浦瑠璃、ひろゆき、などは自分たちが、僕らと同じその「ゴミの一人」ということを自覚していなくて、自分は違うと錯覚し、偉そうに色々しゃべってるから滑稽。東大出ようがなにしてようが、グローバリストなどから見ればゴミはゴミ。僕らと同じ扱い。というか、あの人たちにまともな良心は無いように見えます。「お天道様」「お天道様は見てる」が理解できないから、「まともな良心ってどういう定義?」ってすぐイチャモン付けてくる人種。たまに正しいことも言うのでそれはそれでいいのですが、でもだからといって、信用したり、彼らの言葉を論拠の引き合いに出すのは危険な(恥をかく)人物たちです。
例えばホリエモンなんて、同じ東大「鈴木宜弘」先生の食糧問題の話なんかも「参政党を陰謀論政党」と「決めつける」ことで間接的に侮辱しているのが自覚できてない。僕自身は参政党の支持者ではありませんが(というか政党や後援会などは無いほうがいいと思っていますが)、でも、「人の話をちゃんと聞こうとせず、全部 ”安易に” 陰謀論で片づける・決めつけるホリエモンの思考回路」は、とてもプログラミングができる人間だとは思えないバカさ加減です。僕みたいなゴミですら「ホリエモンってほんとに東大出てるの?」と疑いたくなる低レベルさです。
「リボルビングドア」を「良きもの」としてとらえているらしい井川意高とかいうこれまた東大卒のひとと同じような感じですね。
ひろゆきも同じですね。最近いろいろ切り込まれてるらしいですが、専門分野以外に安易に「決めつけコメント」はしないほうがいいですよね。ひろゆきもプログラミングができる人間ですが、「プログラミングができる人間って決めつけるバカが多い」と思われますね。中島聡さんやオードリー・タンさんのような人たちまで誤解されてしまいますね。)
須田さんは大好きだけど、このひとを擁護したのはご自分の経歴に傷をつけてしまったなとちょっと残念です。
須田さん、しっかりしてよぉ~!!!!(^^)
でも須田さんはこれからも応援し続けます!!(^^)