● 日野皓正先生のご発言が素晴らしすぎて、残しておかずにはいられなかった件について(日野皓正先生のご意見は至極正論であっぱれだと思います。完全に正しい。~ビンタ騒動について)

以下の記事を読んだら、「日野皓正先生のご意見は至極正論であっぱれだと思います。完全に正しい。」と思いました。

日野皓正 中学生へのビンタは教育…「必要な時もある」

本番のビンタは観客や他のプレイヤーの子たちには良くないと思いましたが、では、件のドラムの子がそのまま演奏を続けていたらいたで、僕なら、「すごく後味の悪いライブを見たな。あの子ダメな子だな。エゴむき出しやな。」と、帰ってくる羽目になる・・・とも思いました。

文春デジタルのCM用の短い動画を見ましたが、ドラムの子の体の使い方は僕なんかよりも上手だと思いました。でもああいうプレイのしかたをするということは、なんとなくですけど、その子のことも想像がつきます。(派手なことが好きな子は手数や大音量ばかりに目が行き、音と音との間や音色、小手先だけじゃない体幹でのピアニシモやフォルテシモ、JAZZグルーヴ、椅子の上での和な踊り・洋な踊り、ウラやサークルやアップダウンのゴーストモーションで踊りながら叩く、など、もっと本質的なことを見ようとしない傾向にあるので。「うまいけどつまらん一回聴きゃあもう十分もういいバイバイというドラム」の方向に向かいがちになります。)

また、記事にある通り、日野皓正先生とドラムの子が長い付き合いで、ド突き合いも出来る仲であり、本当に日野皓正先生は「真剣」に決まっているので、ビンタはされて当然だと思います。

ただ、本番で、っていうのだけが、さすがにちょっとまずいとは思いましたが・・・・。

「真剣」

このキーワードは松下幸之助先生のお言葉にもあったように思います。

「販売店さんはお助けしないといけない。常に我々が助けられているわけだから。しかし、真剣じゃない販売店まで助ける必要はない。ワシらお互い真剣なんや。真剣じゃない奴らまでなんで助けなあかん?」というような意味合いのお言葉を述べられた・・・という記事を、どこかで読みました。

真剣度が足りない僕は、今回の、日野皓正先生のお言葉の「真剣」にすごくこころを持っていかれました。

僕もいろいろ「ごめんなさい!もっと真剣にやります!」とあやまりたくなってしまうくらいです。

世界のトッププレイヤーが真剣と言ったら真剣だし、音楽を愛しているし、ビンタされたドラマーの子は、「音楽を侮辱した」のだから、二度と叩かせてもらえなくて当然だし、世界のトッププレイヤーで、あの子のような人はひとりもいません。

子供であろうが、それは、「トッププレイヤーになるために」ということで、日野皓正先生がお教えしているわけだから、「理解できねばいけない子」なのです。

藤井聡太くんならあんなことしません。

羽生結弦選手も、小さいころからきっとわきまえていらっしゃったと思います。

できなきゃいけない子ができないのはまずいし、でも、子供だって、できることなのです。

日野先生のお気持ちとすれば、「僕と彼は父と息子なんだ」というお気持ちなのだから「藤井聡太くんだってお前と同じ中学生だぞ?彼にできておまえにできないはずがない!なぜそこでそんなことをする!?今お前が人としてということを間違ってしまったら終わりだ!」という、心底の親心ではないかと思います。
(日野先生が藤井聡太くんのことをご存じなかったとしても、近いお気持ちなのではないかと思います。)

もし理解できねば潰れていくだけです。
そして治らなければ見捨てられます。

でも、もうワンチャンスはあげてもよいと思います。
ダメといったらダメ、二度と演奏させない、という指導者も多いと思いますが、それは本当はそのほうが正しいのですが、僕はもうワンチャンスだけ、あのビッグバンドでは、あげてもいいのではないかなと思います。

彼、上手っぽいし、これを機に良いプレイヤーになってほしいと思います。
ダメでも、バンドを追い出されて、カルテットなどでやれば、そこでも今回のようなことを経験すると思うので、ああいう性格の子は同じ失敗もするでしょうけど、でも、音楽だけはやめないでほしいなと思います。

いずれにしても、記事にあるように・・・、

「あんたたちがこういうことやって、日本の文化をダメにしてるんだよ。だから文化が低迷している」と苦言も展開。「あなたたちは俺をいじめてるけど、本当は彼(中学生)をいじめてるんだよ。俺はお前たちに何を言われようが、真剣に文化と生きてるわけだし、子供たちをどうにかして世界的にしようと思っていろんなことをしている。お前らが騒ぐほど、ヤツは忘れられずに何年も苦しむことになる。それをよく考えて」

ということが、すべてで、真実である、と言えると思います。
(※政治家の人こそ、こういうことを言ってほしいですが・・・。)

本番中、は他のプレイヤーの子たちや見に来ている親御さんたちのお気持ちもありますので、さすがにまずいと思いますが、ビンタ自体はまったく間違っていないと思います。

でも、あのドラムの子のプレイを見て、「日野先生あっぱれ!Jazzとしてはあのドラマーの子は邪魔や!ライブめちゃくちゃにしおって。ああいうやつはビンタくらいせなわからへんからなあ。しても分かるかどうかわからへんし・・・」と感じた親御さんも(少ないかもしれませんが)、絶対に居たはずです。

僕もその席で見て居たらそう判断します。

そしてあの子は、マスコミに騒がれたことはとっても嫌な思い出として残るでしょうが、でも、日野先生にビンタされたことは、もし彼が将来 本物のプレイヤーになれたとしたら、「あのとき ”本番中でも” ビンタしてもらってよかった。言葉だけじゃ俺、分からなかったかも」とありがたいと実感・痛感するはずです。

ニセモノプレイヤーのままなら、そんなことは思わないでしょうけど。
(あるいは、狂人的な自己中天才ホンモノプレイヤーか・・・)

本番中のビンタは、他のプレイヤーの子や観客・親御さんのお気持ちを考えると良くないことですが、ここまできたらで 敢えて言ってしまうと、「本番中」が 日野先生の「今しかない」だったのなら仕方がないことだと思います。

そして、彼がもし将来「ホンモノのプレイヤー」になれたときは、絶対に有り難がられるはずです。

まさに日野先生が言うように、「必要な時もある」で、そして「その”時”が、むしろ本番中だった」と言えるとも思います。

日野皓正先生のお言葉は、今の教育界に本当に必要なお言葉だし、松下幸之助先生にも、一般のお仕事、一般の社会人生活、にも通ずるものがあります。

あまりに素晴らしいので、記事を引用したいと思います。記事を書いた人は批判的な視点で書いたのかどうかわかりませんが、そんなの関係なく、日野皓正先生のお言葉が素晴らしいので、記事を引用致します。消えちゃうといけないので、是非、内容を記録しておいてください。

==========引用ここから==============

「お客さんの前だろうがどこだろうが、俺はバカヤローと言う。真剣だから。見てる人は分からないから、日野さんひどい、子供がかわいそう、と言うかもしれないけど」と受け流した。今後、生徒がまた同じことをした場合を問われると「手は上げないで、『やっぱりお前は無理だからやめよう』という。音楽は、ハーモニーで会話なんだ。会話ができないヤツは、どいてもらわないといけない」と回答した。

 また、集まった報道陣に対し「あんたたちがこういうことやって、日本の文化をダメにしてるんだよ。だから文化が低迷している」と苦言も展開。「あなたたちは俺をいじめてるけど、本当は彼(中学生)をいじめてるんだよ。俺はお前たちに何を言われようが、真剣に文化と生きてるわけだし、子供たちをどうにかして世界的にしようと思っていろんなことをしている。お前らが騒ぐほど、ヤツは忘れられずに何年も苦しむことになる。それをよく考えて」と語気を強めた。

==========引用ここまで==============

※関連記事

● 「日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた」を読んで。(この先生は子供の教育としては間違っていると思います。)