● 「日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた」を読んで。(この先生は子供の教育としては間違っていると思います。)

※関連他サイト記事:日野先生称賛記事
(東大の音楽の先生のお考えです。権威に弱い僕はこういう記事が好きなのです。JAZZの「逸脱」とは無関係ですが、子育て、の意味で。)
・ステージ上であえて教え子に手を上げた日野皓正
体罰は本当にいけないのか、虐待との違いは何か | JBpress(日本ビジネスプレス)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50966?display=b
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以下本文です。

日野先生のビンタがらみの記事を読んでいてふと次のページを見つけました。

「日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた」

「ギタリスト身体論 ー達人に学ぶ脱力奏法ー」という本をお書きになった先生のブログです。実は僕も買いました。ギターはぜんぜん弾けないのですが・・・。

この本を買った時、「ギターもドラムとすごく似た体の動かし方をするんだ」と、すごくうれしくなりました。

そのあとアレクサンダーテクニークとかを知り(すでに知ってたのかな?でも本当に体感できるようになったのは最近・・・)、体の動かし方ってやっぱり基本動作は同じなんだな~と色々と学ばせて頂いています。

その先生のブログですが、件の中学生をほめたたえ、あおっているのが少し残念でした。(「JAZZ的には」と但し書きがしてはあるのは重々承知なのですが、でも、それでも。ほかのJAZZや楽器のことを知らないお若い方々が間違って誤解してしまうといけないので・・・。)

それが、冒頭に挙げたWebページのリンクです。

先生のお考えはわかるのですが、音楽(ライブ)は、聴衆抜きには、できません。(もとから「目の前の生身の人間・聴衆」は抜きで曲を発表するバンドやアーティストもいらっしゃるのでそれなら話は別ですが・・・)

聴衆の多くが、Jazzのルールを理解していて、先生のおっしゃる「逸脱」を理解していて、「学生を育てる耳」じゃなくて「プロを聴きにくる耳」でいるなら、先生のおっしゃるとおりでもよいのですが、今回の聴衆は、おそらく半分くらいがそうじゃないと思います。

そういったことをそれほど理解していない方や、親御さんなどが多く含まれていると思います。

ドリームジャズバンドは、そういう、我が子の成長を見に来る 親御さんたちの楽しみの場でもあるわけです。

音楽は、「聴衆」に「届けるもの」、です。

そして今回のバンドは教育目的もあるので、JAZZの「逸脱」「回復のない逸脱」というのを見て「やれやれー」とけしかけるような場ではありません。

「場」をわきまえない、人格の低い者、苦しんだ経験の無い者の演奏は、どれだけ音楽的にすごくても、価値のないものです。

もしくは、一部の「音楽のためなら人格などクソ」という考え方の人のためだけのものです。(それはそれでアリだと思いますけど)

そして、多くのプレイヤーはそうではありません。

一部の「音楽のためなら人格などクソ」という人は、それは、「世捨て人」に近いです。

特に、超一流プレイヤーは違います。
(昔の超一流プレイヤーはどうかしりませんが、現代の超一流プレイヤーは特に違う気がします・・・。)

そんな世捨て人ではありません。

スティーブ・ガッド先生や、デイビッド・ガリバルディ先生、たぶん、アート・ブレイキー先生、エルビン・ジョーンズ先生、海外の超一流のドラマー、全員が全員、今回の日野さんを支持するでしょう。もしくは、行為は嫌われるかもしれませんが 日野さんのことをまっこうから否定はしないでしょう(ビンタについても日本人特有な気がするので、しないでしょうけど・・・。)

これはつまり(ちょっと飛びますが)、ドラマーの中学生を「よくやった!もっとやってみろ!」とあおりなど絶対にしない、ということです。

日野さんにしたって、親御さんの期待にも応えたい、もちろん演奏する生徒さんたちの楽しみにも、さらには親御さんの楽しみ、についても、そのほかのJAZZ好きな人の楽しみにも・・・JAZZを通じて 音楽のいろんな楽しみ方をしてほしい、音楽を愛するということ、先人・JAZZジャイアンツに敬意の念を払うということ、いろんなことを考えて欲しい・・・とやっているわけです。

そもそも、先に挙げた一流プレイヤー・ドラマーが、逸脱して戻ってこないことなんてないし(これはブログの先生もおっしゃっていますね)、さらにそもそも、ガッド先生なんて逸脱することなんかより、「音楽が求めているものをできる限り理解して、それに合わせて自分の中のモノを出すんだ。他の楽器の音をよく聞くんだ。最後には、音楽のほうが自分を演奏してくれるのさ。」と、逸脱しないで(あるいは逸脱しすぎないで)いかに調和するか、のほうが重要だとも言っています。
また、昔には「ドラムソロなんかやりたくない。あんなのは音楽じゃない。」とも言っています。

「言ってるからなんだ、見事な権威主義だなお前」、と言われてしまいそうですが、それはそうかもしれません。でも、現実には、そういう音楽のほうが多いのが事実で、今回の中学生のような逸脱をする現場なんて、プロの世界では、まず無いのでは? それに、僕はど素人ドラマーだから「音楽のほうが自分を演奏してくれる」なんて感覚を一度でもいいから感じてみたいと思ってしまいます。

※ちなみにですが(いきなり長く脱線しますが)、ドラマーにとって、「ドラムソロは見せ場」と思う人もいらっしゃるでしょうけど、でも実は、それは全然ちがうくって、本当の見せ場は「バッキング」なんです。ドラムそのものの音とか間合いとかドラマー自身の椅子の上での踊り方とか・・・。トランペットやサックス、ピアノ、ベースが音を出したとき、ボーカルがいろんな表情で歌っているとき、に、ドラムがそのバッキングをして盛り上げたり抒情的な優しい演奏・効果音を出したりで、聴いている側が「うわ?なんだ?このゾクゾク???すげえ!」となるのがドラムの見せ場で、そして、そんなところが何曲もある中に、かつ、曲の中で何回もしょっちゅう出てくるわけです。
だから大変失礼ですみませんが、よくどなたかが「ドラムソロがドラマーの唯一の見せ場・目立てるところ」とか発言しているのを見ると、「この人は ”音楽のことを何もわかっていないなあ”。そんなことあるわけないんだけど・・・。」といつも思います。とはいうものの、そもそも僕だって全然音楽のことを分かってないし、また、僕はROCKとPOPSの手数の少ないやつしかできないからドラムソロなんてできる技量が無いので、やったことはないですけど・・・。
ただまあ、「ドラムソロがドラマーの唯一の見せ場・目立てるところ」とか書いてるのを見ると、「知ったかぶりのもっとも恥ずかしい記述」とは思います。

まあ確かにドラムソロは「見せ場のひとつ」ではあります。

が、あくまでも「単なる、見せ場のひとつ」であって、まったくもって「唯一」ではないし、ドラマーとしてはバッキングで他の楽器とからんでるところを褒めて頂いたほうが100万倍、うれしいです。
だってドラムソロは、誰もからんでくれない自慰行為になってしまうこともあるので・・・。「ソロなんかやりたくないんだけど、やれって言われたからしょうがなくやっただけでテキトー。ほんとうはあんなこと面倒くさいからやりたくない。」というケースも多いです。特にアマチュアでは多いと思います。

もちろん、「音楽的なソロを」と他のメンバーから言われればそうするんだと思いますが、実際には派手なやつしか拍手来ないし(それはそれで嬉しいんだと思いますけど)、それはドラマーにとっては、JAZZでもROCKでもあんまり意味があることではないです。
ドラムソロを、「派手なやつをやるとお客様がすごく喜んでくれるから・元気になってくれるから、あえて若干曲芸的な意味でもいいのでやる」とか、「拍手なんて一切なくていいので、本当に曲にあったソロをやる」、というのはすごく意味があると思いますし、自分もできるものならやってみたいと思いますが、でも、ソロが無いからといって「自分が全然目立ってない」と考えることはありません。
といいますか、「ドラムソロが無いから目立ててない・ドラムソロをやると目立つ」というのはかなりピントがずれた考え方ですよね。
基本 ドラマーは、バックでプレイしているだけで、バンドをすべて掌握しているわけですし、オーケストラでいうと、指揮者のような役割もあるので、それで、「目立ってない」と考えるほうがおかしくて、「最初から最後まで目立ちまくってる」、と、ドラムが上達するにつれて、そういう考え方になってくると思います。(指揮者の佐渡裕先生のご本なんて、ほんとう、ドラマーとして心得ないといけないことが本当にたくさん書いてあって、勉強になります。)
ビッグバンドの場合、多くは指揮者がいると思うので、ドラマーが指揮者的な役割をすることが減るかもしれませんが、でも、無くなるわけではないと思います。
なので、「ドラマーがドラムソロが唯一の見せ場」だなんて、もしそんなバンドが存在したとしたら、「なんてダメで腐ったバンドなんだ?」ということになります。
また、もしドラマー自身が、「ドラムソロが唯一の見せ場」なんて本気で考えていたとしたら、腐りきっていて、もう救いようがないですね。即刻、バンドやめて、ピンでやったほうがいいです。「ドラムアート」としてのほうがきっとその人のパフォーマンスは楽しいし、音楽的(打楽器だけの音楽的)にもより良くなるです。
ROCKですら、例えば同じ譜面を見たときに、どう解釈して、どう踊るか?踊らない踊りを踊るか?動くのか?まずもって体幹をどう動かすか、で、出てくる音や組み立てたフレーズの雰囲気がガラッと変わってしまいます。間はどうするのかとか、どういう雰囲気の音にするのかとか、手数は少なくても決して簡単ではありません。超一流のスティーブ・ガッド先生でも、シンプルな8ビートをよく叩きます。また、8ビートではないですが、ポールサイモンの「恋人と別れる50の方法」なんて、ほんとうにあのふわっとしたロール、手数としては多くはないのですが、なかなか似た雰囲気にならないんですよね。フロアタムに両手で行ったあとに、あのふわっとしたロールでスタートするのがメチャ難しいです。ハットの左手とフットHiHatの音の入れ替わりの小粋な切れ味とかも。
フロアタムに両手で少し強めに行ったあとの、またその距離のある移動から、スネアに戻って、瞬時にダイナミクスやノリをスイッチしてあのふわっとした雰囲気のロールを入れる・・・、そのふわっとしたロールの雰囲気をコピーできてる人を今まで見たことがありません。ハットの小粋な切れ味のグルーヴにしても同じです。ドラムでバッキングするというのはそんな感じなんです。手数は少なくても、体幹の動きやタッチやニュアンス、ダイナミクスでぜんぜん曲やバンドが生きも死にもしてしまいます。目立ちまくりです。
ドラマー自身は「自分が目立ってないようで、実は目立っている」ことを自覚しています。また、外側から見れば、青山純さんの居なくなった山下達郎さん、ドラマーではないですが、でもリチャードティー先生とガッド先生の居なくなったポールサイモン先生、ライブはまったくの別物となってしまいます。同じ雰囲気は二度とよみがえりません。ドラマーは、常に、(目立ってないようにみえて)実は、聴衆のこころのなかに、常に、ちゃんと、グサッとくさびを打ち込んでいるのです。
だから自分がソロなんてできなくても、何の不満も不安もないし、もとから一音一音にこだわっているわけなので、見せ場だらけでして、「見せ場が無い」なんて「最初から考えてすらいない」わけです。ごくごく普通の平凡なドラマーでも。
本当にバンドやドラムのことを分かってくれる人(お客様)はソロなんかやらなくても、演奏会のあとに、「こないだ見にいったライブと何が違うのか見てたらドラムだった。バンド全体がすごくよかった。」とか「あなたのドラムはちょっと変。でもオリジナリティがある」とか、「ちょっと普通と違いますね。ぶっちゃけ上手いとは思わなかったけど、でもなんかしらんけど、他のドラマーさんよりもダイナミックだったり繊細だったりでグッときました。バンド全体が面白かった。」とか、「面識ないのに」「言いに来て」くださいます。
もちろん、自分のレベルの低さは自分でわかるので、お言葉だけ、ありがたく頂戴するわけですけど。

一回目の脱線、終わります・・・・

音を聴かせる技術として、あるいは、新しいものを生むために、とか、観客をより高い世界や新しい世界に導くために、「逸脱」がJAZZには欠かせないのかもしれませんが、でもそれは、「プロ」が「プロを聴きに来ている聴衆・全員」のときにやればいいことであって、いくらプロの演奏でも、聴衆のタイプが大きく異なれば、やる曲もスタイルも変えて、聴衆を楽しませてお金を取るのがプロです。(お客様の顔や服装や身のこなしとか色々を見れば、すぐにどんな感じの聴衆かなんてわかりますよね。プロの人なら。)
中学生の彼がアマチュアだから、プロじゃないんだからおとなしくしとけ、という意味ではなく、自分がプロになりたいとう気概があるなら、それぐらい軽くやっとけ、という意味です。

そういう聴衆に配慮した演奏を聴いて、「ケッ、かったりークソJAZZやってやがる」と感じる人もいるかもしれませんが、そうじゃない人が90%以上であり、楽しんでもらえてるわけです。「ケッ、かったりークソJAZZやってやがる」とか思ってる聴衆には、「またね。別のとこであなたの聴きたい気ィ~狂ったやつやるから見に来てね。今日は違うやつだからごめんね。」と心の中で思っておけばいいだけの話です。そんなお客様にいちいち反応しなくても動じず堂々としてればいいです。たった一人のために、今日は君だけに、と決めて演奏するのだって、音楽なのですから。そういう、とんがった人たちにだって、いつでも、いくらでも演奏してあげられます。

トッププレイヤーほど、「え?こんなとこでもやってくれるの?」というところでやってくれます。(もちろん有料ですけど・・・。)

※ついでに言うと、「お客様が一人の時ほど燃える!」とか、「とても音楽を聴きに来たとは思えない、というお客様程燃える!」、というのじゃない人は、ミュージシャンではありません。それは「伝えたいことが無い」「あがく自分、這いつくばってる自分を見せてでもいいから伝えたい!ってことが無い・・・」ってことですもの。今だけの恋人になっちゃいたい、彼のこころに入り込んじゃいたい、ねじふせちゃいたい、SEX & ドラッグ & ロックンロール(海外の人はJAZZでもこんな感じ)、という基礎的な気概すらない、ということですものね。(あるいは「無」になってるか・・・。「無」ならお客様に関係なくありのままの自分を表現できるし、きっと、イっちゃえると思います。僕はまだイっちゃった経験はありませんけど・・・。)

※さらについでに・・・、「ビンタで鼓膜が破れたらどうすんだ」という意見がありますが、「何言ってんだか」という感じです。「真剣」に何かをやったことがない人が言う言葉だなと思いました。片っぽ鼓膜がやぶれたくらいじゃ、やめられなくなってしまう、のが音楽です。音楽(もしくは自分の好きなこと)がやりたい人間からすれば、「片耳くらいなくなっても別にいい」「メジャーになるばかりが音楽家ではない」と考えていると思いますので、実際、本人にとってはどうってことないんです。親御さんや周囲はどう考えるか知りませんけど・・・。
どうってことあるひとは、最初から音楽を愛してなどいない、消えて当然の人なんです。僕はドラムをしますが、片腕や片足がなくなったくらいだったら全然やめません。手数足数が多いことだけが音楽ではないですから。曲の中で、気持ちいいとか、Kawaii!!とか、地獄に落ちろ、ってこととかを表現する、っていうのは、そういうことじゃないですよね?
日野先生はそういう考えの出来ない子には、絶対にビンタしないと思います。「このバカは音楽に魅せられている。事故で半身不随になってもやめないだろう。」という子しか、やらないと思います。だって、そういう子以外の子をビンタしたって、応えて伸びてくれないわけですから、ビンタする自分が疲れるだけですもの。
やられたほうも、自分がビンタを体罰だと感じた時点で、自分でその組織からとっとと脱退すればいいだけのことです。トラウマになってしまうといけないとは思いますが、動画を見る限り、日野先生のビンタはそこまで強烈ではなさそうに見えます。鼓膜は意外と簡単に破れるとも聞きますが、もし鼓膜が破れた生徒さんがいても、それは例えば今回のことで言えば、「繰り返し注意しても同じことをする生徒さんに非がある」「事故」なので、日野先生が社会的に抹殺されるか、誠意をもって面倒をみれば、十分償いになるレベルのビンタ強度だと思います。
「じゃあ一度に両方の鼓膜が破れたら?」という人も居るでしょう。現実に、実際に両方破れてから問題にしてください、って感じです。そんな考え方で、どうやって子供たちが強く生きていけるっていうんでしょうか?そういう話はバカバカしいにもほどがありますよね。
「何でも責任とれと言ってじゃあ自分の責任は?やられた理由は棚上げするの?そもそも自分が原因じゃん。」ということになると思います。
何でもかんでも他人や何かのせいにして生きて、(言葉が悪くてすみませんが)「チンケ」で「ケツの穴の小さい」考え方ばかりして、自分の人生が楽しくなるわけありません。(「姑息」には卑怯という意味がありませんでした。自分が思う適当な言葉がみつかりませんでした。すみません。)
アホらし。
そんな愚かしいことを我が子にもお教えするつもりなんでしょうか?
それは「弱くなれ~、弱くなれ~」といって子育てしているということと同じです。
機械(AIとか)には絶対に判断できない微妙なところを善・悪、良心ある・なし、ほぼ間違わずに直感で素早く判断できるから人間なんだ、と思いませんか?そして人間は「ほぼ」で完全じゃないから、何かが自分にあると相手には責任が取れないので、かえって相手に迷惑をかけてしまうので、自分の行動を自制する・・・、「逸脱」するにも「場」があるのでそれにともない上限は異なることを認識する・・・、ということが必要になるんでしょう? 誰彼かまわずビンタするのはダメに決まってるし、誰彼かまわずビンタすることを推奨してるわけではありません。「こいつはデカくなる」と思った生徒でビンタしても問題ない師弟関係がある場合に、ビンタしても別にそれは当事者同時だけの問題で他人がとやかく言うことでないと思います。事故があっても当人同士で解決できるのだから、ビンタ=暴力、とは違います。誰彼構わず分け隔てなくいつも理由もなくビンタしていたら、ビンタ=暴力=体罰、なんだと思いますけど・・・。

また話が飛びすぎました。

もとに戻ります。

それに件の中学生ドラマーの子は、そのような「音楽的な逸脱」をしたわけではなく、「人間的・社会的」に逸脱しただけではないでしょうか?
そもそもドラムソロの場面なんて、もしほかの楽器が鳴ってない場合は「音楽的な逸脱」もクソもない、という状況の気がしますけど・・・。

彼は「単に他の生徒をあおってフリージャズ的な音を出させ、で、それが出なくなるとまたソロをたたき始め、他のドラム担当の生徒に叩かせず、ドラムを占拠し続けた」という風にもWeb上で報じられています。これは、おそらくですが、事前に、「ドラムの席は奪い合いだ」、というルールを暗黙に流す・通知する等々をしてもおかないまま、だと思います。それって「卑怯」くない?

これが本当かどうかはわかりませんが、もし本当ならそれは「音楽的な逸脱」ではなく、「社会的な逸脱」とか、「反社会的行為」「ただの卑怯者」なだけ、なのでは?

聴衆のことを無視してまで、「自分の好き勝手な解釈の音楽を押し付ける」ことがいいのか悪いのか・・・

ましてや「反社会的行為・卑怯」な行為を自分の親以外の親御さん達にまで押しつけて見せびらかし、「これが俺たちだ」とでもいうつもりなんでしょうか?彼は?
「俺だ」じゃなくて「俺たちだ」と他人を迷惑に巻き込むつもりでしょうか?

それが アメリカのジュニアの JAZZではあたりまえなの?

アメリカの大人の、次世代の、メジャー付近の、這い上げるための JAZZではあたりまえなのかもしれませんが・・・。

それならそれで、例えば、このビッグバンドの奏者全員が、「最初から席は殴り合いの奪い合いの喧嘩だ。自分で勝ち取れ」、と事前に、周知徹底されていなければなりません。それなら別にいいんだと思います。

彼がソロ(おそらく奏者紹介の意味も兼ねて)のときじゃなく、通常の曲の進行の中で正当に立派な「音楽的な逸脱」を披露したのなら、「すごいなあ」と感心するかもしれませんが、ソロの回しの、奏者紹介も兼ねてるかもしれない、下手するとライブとしてはどーでもいいところで「音楽的ではない」、「社会的な」「逸脱」を見せられてもねえ・・・という気は致します。

僕が他の子の親だったら、彼に対しては「あきれ」を通り越して「哀れ」になりますね。

もちろん、飛び出したい、抜け出たい、という気持ち(が彼に本当にあるのか無いのかわかりませんが)は、若いうちは大事だとは思いますが・・・。

「意思」が無ければ自分を高められるはずがないわけですから・・・。

でもあとで謝っちゃってますのでねえ・・・。
謝らなければいいのに。
「俺は間違ってねえ。ついてこれなかったバカどもと日野のクソが悪いんだ」と堂々と言えばいいのです。そこまで言えば「JAZZと社会的な逸脱をちゃんとまっとうした」ということになるでしょう。海外のトップミュージシャンでも昔はそのくらいだったという人はいくらでも居るわけですから全然アリです。
謝っちゃったら「悪ふざけした」か、「もしかしたら他の子とも打ち合わせていて彼がハメられた」か、等々・・・ということになり、いずれにしても、JAZZの世界で・JAZZのルールでブチ抜けようとはこれっぽっちも思ってなかったことになります。

だいだい、そんな気概がもとからあるなら、「こんなオコちゃまJAZZに付き合ってられっか」と彼自身の判断に基づいて、大人のバンドに入ってるはずです。(JAZZでもロックでも、今の時代、大人のバンドに入ってる中高生、いっぱいいますよね?ロックなら大人バンドに小学生ドラマーだって居ます。大人に導かれてのケースが多いと思いますど、自分から行けば別に、一定以上の実力と強い意思があれば入れてもらえると思います。)

また、そもそもの疑問ですけど、「ビッグバンドジャズ」という形態で「音楽的な逸脱」や「社会的な逸脱」って多いんでしょうか? あるいは、その2つは「称賛」される行為? (日本では絶対称賛されないですよね。アメリカのビッグバンドJAZZでは、ほ・ん・と・う・に・称賛されているの?)

トリオ、カルテット、クインッテット、とかならわかります。十分ありそうですけど「ビッグバンドジャズ」ではあまりそういうイメージは僕は持ってないです・・・。アメリカのビッグバンドの場合でも。一回、アメリカ人全員に聴いてみたいです。音楽やってる人にもやってない人にも。ビッグバンドのトッププレイヤーだけでもいいですけど。

日野先生もおっしゃるような、人数の多い「集団行動」で「あんな逸脱の仕方」を称賛していいのか?それが本場アメリカでも本当に「JAZZとして称賛」される態度なのか?「称賛はされないけどJAZZの歴史がのちのち、あれがポイントだったと許してくれる」、と、ビッグバンドJAZZの人たち皆が了解しているのか? それには疑問符が付くと思います。ビッグバンドJAZZをナメてる、ということにはなりませんか? わかりませんけど・・・。

中学生の彼が「場をわきまえてない」、というのは、そういうこともあると思います。

・・・日野先生は、僕のような無関係な人間が、彼について、こんな風に、あることないこと、想像でWebに書いて残すような行為を、とても心配しているのだと思います。

繰り返しになりますが、聴衆のことを無視してまで、「自分の好き勝手な解釈の音楽を押し付ける」ことがいいのか悪いのか・・・

僕は悪いと思いますし、そういうことをしている世界の超一流プレイヤーを見たことがありません。

そして、中学生にそれを薦めるのも悪いことだと考えます。

あんた、何のために、誰のために演奏してんの?

誰に届けたいの?伝えたいのさ?

あんたの音を。

と問われたとき、聴衆が・・・、「JAZZのことなんてわからないけど、音楽が大好き」な・・・音楽を愛する人で、ひとりよがりの演奏を聴きに来たんじゃない、って人達が多そうなら?

どう考えますか?

「世捨て人上等!音楽やるならそこを目指さないヤツはクソ!」という意見ももちろんわかりますが、いかんせん、世捨て人なので、それを実行しようとした中学生がもし居たとしたら、その子が「幸せに」なれるかどうかはわかりません。
現実問題、そのような考え方で幸せになれる確率は低いと思います。

もちろん、世捨て人的な人生、家族を犠牲にしてまで仕事に狂う人生は、家族は可哀そうだけど、本人だけのことを考えれば十分「アリ」で、否定などまったくできない人生ですが、でも、そんな人生を歩ませるのに、中学生のうちからけしかけるのも酷です。

成人してからでいいんと違います?

中学生の子が、ファンクで言うとfuyuさんとか、沼澤さん、クラス以上、の世界でわたりあえるJAZZの音を今、現時点で、出してるんならわかんないですけど・・・。

(「ちょっと待って、家族に迷惑かけていいとは言ってない」とおっしゃるかもしれませんが、家族に迷惑かけられもしない程度の音なんて逸脱というルールからすればカスでゴミです。ルイ・アームストロング先生だって、チャーリーパーカー先生だって、麻薬やってたし、家族に迷惑かけっぱなしだったのだと思います。ウラで大切な人を何度も何度も泣かせてその分自分もウラで何度も何度も苦しんで、それが音に出るのではないかと思います。僕にはとても真似できないですけど。)

また、「世捨て人になれ」「逸脱しろ」「破壊しろ」ということばかりを人に勧めるのは良くないし、実際、世界のトップアーティストがしてきた「破壊」の歴史とは、そういう「破壊」とは違う気がします。(あれ?麻薬やってたとなるとそういう「破壊」か・・・)

件の中学生は、「社会的に」逸脱しようとした心意気は確かにある意味では立派で、僕も若いうちはそういう風でもいいし、音楽的逸脱とは違うけど、とんがったパンクな意識、攻撃的な姿勢、は必要だ、とも思いますが、でも今回の件は、「今回の聴衆のタイプ」を完全に無視してしまっているので、100%間違っています。けしかけるのもおかしいです。

ライブは「聴衆とつくるもの」でもあると思いますので、とんがった音楽は「逸脱大好き人間」が9割以上の聴衆のときか、「予定調和の無い、完全アウェイ」での時にやればよいと思います。

けしかけるなら、彼に聴衆のことを説明してからだと思います。

ただ、そうしてもその彼が、世界に通用するプレイヤーになれる保証はもとからないですけど・・・。日本でやらないでアメリカとか海外行ったほうがいいですね。

そして、日野先生は、今回のライブの目的としては、まったくもって正しく、おかしなところは100%、ありません。(本番中だった、ということ以外は。でも本番中だからこそ、ということもあったのではないかと思います。ドラマーの子のやったことがすべてもし本当なら、この子がミュージシャンとしてではなく「社会人の卵として間違ったことを本当にしていた」のなら、僕でも日野さんと同じことをしたかも。こいつがダメになる!と思ったら・・・。本番中だろうが何だろうが今やらなきゃ音楽や文化に対する自分の真剣度はもちろん、当のこの子に対する真剣度が薄い、と見られるのだけは自分が許せなくなると思うし、こいつがおかしな社会人になってしまう、という恐怖が自分をマズイ!とかりたてると思います。子育てをした経験がある方なら、そのヤバい恐怖感が絶対に分かるはずだ。子供が赤信号で飛び出してしまい、「馬鹿!」と引き寄せてダメでしょ!飛び出しちゃ!パチン!とやるときの、「子供が轢かれちゃう!!」という一瞬の恐怖と似ていると思います。)

お若い方々におかれましては、もしあなたが世捨て人になる覚悟が無いのなら、件の中学生に今回のことをよくやったとけしかけるようなことはしないでほしいな・・・、と思います。

そして、僕のような、こんなことを書くような、愚かな人間にはならないようにしてください。

ほんとうに、彼のような子にはどういう風に接したらいいのか、日野先生に対してどう考えたら良いのか、決めつけなどはしないようにして、いろんなことを考えてみてください。

答えが出ても出なくてもいいので、安易な決めつけだけは避けてほしいなと思います。

※ところで、このライブ、お金取ってたんですね。てっきり保護者中心の無料ライブかと・・・。ポスターとかちゃんと見てませんでした。でもお金の問題じゃないですよね。お客様をしっかりと見分ける・見定める、「場」をわきまる、というのは・・・。

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