● お若い方々へ。「企業」のことを「ヒト・モノ・カネ」とだけしかとらえず、「ヒト・モノ・カネ・こころ(良心)」ととらえない企業・人は必ず「ニセモノ」で、どこかで大コケしていずれ自分に不利益があります。急成長する企業は「こころ(良心)」がついていけないため、「ほとんどがニセモノ」で、崩壊するか、大幅な規模縮小やリストラを余儀なくされます。

この問題は、企業のことを「ヒト・モノ・カネ」とだけしか教えない大学や高校に、その原因があると思います。

「企業目的=利益の追求」としか教えない教授も、大変高飛車で申し訳ないのですが、「典型的」な「低レベルで悪質な」教授です。

特に、企業に勤めたことも無い人、資金繰りで悩んだことのない例えば大学の教授さんなどが教えると良くないと思います。

そういった大学教授や高校教諭は、「企業」というものを「ヒト・モノ・カネ」とだけしかとらえていないので(「こころ(心)」のことをまったく考えていないので)、企業のことを例えば企業を松下幸之助先生のように「社会の公器」として、あるいは、ドラッカー先生のように「良い意味での幸せになるための自己実現の場・人生の3分の1の時間を過ごす場」ととらえることはできず、学生さんたちにもそう教えてしまうと思います。

でも、それがそもそもの間違いです。

なので、たとえば急成長企業に就職できたとしても、あるいは、ご自分が急成長企業を作れたとしても、多くの場合はその会社が、「こころ(良心・哲学など)がついていけず」、「おごり」、ほとんどは、そう遠くない将来に破綻・崩壊(倒産・規模縮小・リストラ等々)します。

一時はいい思いをしても、そう遠くない将来に、どん底に叩き落されます。

急成長の企業に入るときは、その覚悟が必要です。
(マイクロソフトさんのように潰れない企業ももちろんありますが、マイクロソフトさんの場合は、一般個人客からは多くの場合・尊敬されていません。恐ろしくすごいことを成し遂げてきましたが、こころがないため、まったく尊敬されていません。コンシューマ市場では大変残念ながら、もうお客様には見放されていると思います。)

これは歴史的に見てもあきらかです。
例えば、「こころ(良心・哲学など)」が成長や日々の経営についていけなくなった企業は多くが、たとえそれがどんなに大きな会社でも、「消えて無くなって」います。

分かりやすい例で言うと、旧ライブドア、雪印、船場吉兆、山一証券、ミートホープ、など、があると思いますが、そうなる理由の第一は、そもそも、「お客様」自体が企業に対して「こころ(良心・哲学など)」を求めるからです。

当然ですよね。
(でもその当然のことが、「お金」の「意味」を誤解していて・かつ・「自分自身の見栄」がからむと、「当然じゃなくなる」「難しいものになる」「良心が消し飛ぶ」ので恐ろしいのです。)

もっと言えば・・・、というよりも、よく言われているのは、お客様は「 ”商品そのもの” を買っている」わけでありません・・・ということです。

お客様は、「商品を媒介として ”うれしい、たのしい、助かった、癒される!、おいしい!” などの ”感情” ”こころ” を買っている」のです。

つまり、売る側が「”うれしい、たのしい、助かった、癒される!、おいしい!” などの ”感情” 」や、「こころ(良心・哲学など)」を売らなければお客様の満足は到底得られないのですから、企業の側自体に「こころ(良心・哲学など)」がなければ・・・、「モノだけ売ってハイ終わり!」では・・・、そう遠くない将来に破綻・崩壊するのは当然のことといえます。たとえどんなに大きな会社でも、多く(7・8割)は1~3年以内、遅くても10年以内(特殊な場合では50年以内)に、「確実に」「消えて無くなって」いきます。

真に、「ウチはモノだけ売ってハイ終わり!じゃない!」ということを実現している企業は、現実にはとても少ないです。

「きれいごとだけじゃやっていけん」と「きれいごとをあきらめる企業」はとても多いです。
でもそう考えた瞬間から、企業も人も、狂っていきます。おかしくなっていきます。
「きれいごとをあきらめれば」いずれ、遠くない将来に顧客から見放されるので、あきらめたらいけないです。

「できなくてもいいからあきらめたらいけません。」
「何年もちゃんとできなかったとしても、あきらめたらいけません。」

急成長すると、お金に目がくらんでその「お客様」自体が企業に対して「こころ(良心・哲学など)」を求めるという「あたりまえのこと」が見えなくなります。

「まさか自分が」と思っても「日々の業務に飲み込まれて」見えなくなっていきます。
入社した会社のルールが、世間のルールと同じだと愚かな勘違いをしだします。

財務省もそういったことが分からない愚かな人がトップに居るので、今回のように、不祥事が連発しているのでしょう。

アタマはいいのかもしれないけど、「こころ(良心・哲学など)」がまるで無い。

これが若いうちは、ほんとうに、なかなか、気付けません。
(若いうちは「言霊」に気づきにくいのと同じように。)

「お金」の位置づけすらも学ばないからです。
多くの人が「お金を道具」と習ってしまい、それを「疑わない」「自分の頭で考えない」からです。
お金のことをちゃんと考えないので、お金の力が、こころ、を見えなくしてしまいます。
本来、お金とはそんなものではないのに。
「お金、技術力、売上や利益金額の数字」、といったものには、同じ「魔力」がありますので、もちろん、それらは、それらがなければ会社が成り立たない大切なものですけど、「あくまでもそれらが」「企業の真の目的ではない」、ということを肝に銘じてないと「すぐにニセモノ野郎に堕ちて行きます」。
(「魔力」といっても、お金のことをちゃんと考えない人には「魔力」に見えるだけであって、ちゃんと考える人には「魔力」でもなんでもありません。善なるありがたいものです。)

それを大学や高校では教授や教諭が「企業の目的は利益の追求」などとバカげたことを教えるので、バカな学生さんが増えてしまいます。
(繰り返しになりますが、若いうちは「言霊」に気づきにくいのと同じように、ほんとうに「こころ(良心・哲学など)」や「お金」のことにもなかなか気づけません。僕もそうでした。今でもそうだけど・・・)

実際、僕も大学でそう習ってしまい、すごくバカでうんちでアホな年月を過ごしてしまいました。
少なくとも10年以上。
正直、その大学教授を少し恨んでもいます。
少なくとも「なんていう質の悪い教授に習ってしまったんだ・・・」と思っています。
それがあったから、お客様と真摯に向き合えなかったのです。
そして僕はその教授よりもバカでアホな最低野郎になってしまいました。
人生の3分の1を過ごす場所で、そうなってしまうのは、人生を棒に振るにも等しいです。
最初から、ドラッカー先生や坂本光司先生、松下幸之助先生に習いたかった。

でも、今でもそれが完全に抜けてないところが、不意にポツッポツッと出たりするところが、本当に僕自身が根っからのうんち人間である証なんですが・・・

ほんと自分で自分が嫌になります。

それに対して、永く増収増益を実現できている企業は、絶対に、企業のことを「ヒト・モノ・カネ」とだけとは考えていません。

「お金を道具」とも考えていません。

例えば、「ヒト・モノ・カネ・こころ(良心・哲学など)」だったり、「顧客第一主義を真に実現するために社員第一主義からスタートする」といった感じの考え方です(これは 坂本光司先生の受け売りです。)

企業とは、松下幸之助先生のおっしゃるように「社会の公器」であり、あるいは、ドラッカー先生のおっしゃるように「良い意味での幸せになるための自己実現の場」でもあり、そして、「ヒト・モノ・カネ・こころ(良心・哲学など)」であったり、「ヒト・モノ・カネ・こころ(良心・哲学など)、顧客第一主義を真に実現するために社員第一主義からスタートする」であったりします。

決して、単なる「ヒト・モノ・カネ」だけのこころの通わないものではありません。

そもそも「ヒト・モノ・カネ」というだけの考え方は、「ヒト」を「ヒト」として見ていません。
もっと言うと、「お金」のことを「お」をとっぱらってカタカナ書きして「カネ」と書いてしまった段階で、「俺はお金に対してはもちろん、同じようにものにも人にも何の敬意も持ち合わせていない」と宣言してしまっています。
「お金」のことを「カネ」と書く・呼ぶのは、例えば新入社員が松下幸之助先生のことを、「松下幸之助先生」と呼ばずに「おい松下」と呼び捨てにするようなものです。
普通あきれますよね。
それが、「ヒト・モノ・カネ」というだけ、の捉え方・考え方です。
そんな捉え方をする人、ひとを呼び捨てにして平気な人に、いいことが増えることは基本的にはありません。運が良くなることも、当然、ありません。というか、運はどんどん逃げていきます。
我々一般人(勝負師ではない人間)にとっての「運」とは「基本、人(出会いとか。そのほかにも。)が運んできてくれるもの」であることが非常に多いからです。
「ヒト・モノ・カネ というだけの捉え方は そもそも 人を人として見ていない。」というのはそんな感じです。
「企業の目的は利益の追求」と考えて疑わない教授の頭の中はそういう風です。

(※お金にだって人格?金格?がちゃんとあると思います。色んな考え方があるでしょうけど、でもやっぱりお金って基本的には「ありがとうのお礼の気持ちがつまったもの」だと思いますから。そういうシンプルなものだと思います。本当は「想い」、が乗っかってるものだと思います。って、エラそうに言えた立場ではないんですが・・・。軽んじてしまうことが今でもあります。ダメ人間ですね・・・。でもそれでもそう思います。お金(人)を道具としてしか見ない人は、そういう風に思わないので、お金(人)に嫌われて逃げられます。たとえば増収増益を続けていくことはできないと思います。)
  
  
数字やデータも、同じです。

データベースシステムやBIシステムを入れたところで、Excelの真の基礎、データ管理の真の基礎をまなんだところで、企業を「ヒト・モノ・カネ」だけにしか考えたことがない人には、「数字やデータから真実を見つけ出す」ということはできません。
自分の会社にとっての真実が見つけ出せなければ、どんな対策も有効になるはずがないので、そういった企業には、もともとExcelもパソコンも会議も不要で、とくにパソコンなんて置いてあっても「コンピュータ、ソフトがあってもただの箱。何の役にも立たない。」なので、さっさと捨ててしまうほうがいいでしょう。経費のムダやん、的な・・・。

数字を見る時も、そのベースに、『 松下幸之助先生のおっしゃるように「社会の公器」であり、あるいは、ドラッカー先生のおっしゃるように「良い意味での幸せになるための自己実現の場」でもあり、そして、「ヒト・モノ・カネ・こころ(良心・哲学など)」であったり、「ヒト・モノ・カネ・こころ(良心・哲学など)、顧客第一主義を真に実現するために社員第一主義からスタートする」』ということを忘れないようにしないといけません。

でなければ、数字を出したり、データベース化する意味はありません。

Excelやパソコンなんてさっさと捨ててしまいましょう。

企業というものを「ヒト・モノ・カネ」とだけにしか考えてない会社や上司、担当者が考え付く「対策」と、「ヒト・モノ・カネ・こころ(良心・哲学など)、顧客第一主義を真に実現するために社員第一主義からスタートする」と考える会社や上司、担当者が考え付く「対策」は、その方向性が全く別の次元のもの、となります。

当然、前者の次元は低く、また後者とは、どこにも交わらないもの、であると思います。

繰り返しになりますが、あなたやあなたの会社が前者なら、さっさとExcelやパソコンなんて捨ててしまいましょう。

スマホでメールとFAX受け取るだけで十分でしょう。

また、そんな会社に就職するくらいなら、どこか良心的な企業でバイトするほうがあきらかにご自分の人生のためになります。

どうぞ、お気を付けください。